筆者・中井仲蔵(コラムニスト)――この連載は、普段は某中小企業に務めつつ、こっそり雑誌やウエブ媒体に原稿を書くコラムニストの私が、あまり話題にならなかったニュースを拾い起こしてみようというものです。月2回の掲載を目標にしています。
アクセスジャーナル読者の皆さんこんにちは!
先日、山岡俊介編集長にいろいろ尋ねたところ、当サイトは「ハイブラウな読者が多い」とのことでした。そこで今回は、古代に書かれた書物に関するトリビアをご披露して、皆様のご機嫌を伺いたいと思います。
ということで取り上げるのは、唱歌でも有名な浦島太郎のお伽噺。
諸説あるそうですが、なんでも現存する文献の中で浦島太郎とおぼしき人物が登場する最古のものは、西暦720年に上奏された『日本書紀』なんだとか。これの内容が、われわれ21世紀の人間が知ってる筋とは、ちょっと違っていたようなんです。
『日本書紀』によると、物語の舞台となったのは、雄略天皇の治世22年の丹波国。西暦でいうと478年、今の京都府の北の海岸あたりとなるのでしょうか。
そこに住む浦嶋子(うらしまこ)という青年が、ある日、船釣りに出て、大亀を釣り上げました。その亀が絶世の美女に変身して、「一緒に私の住むところに行きましょう」というので、浦島子はその美女について蓬莱山に行ってしまいましたとさ。めでたしめでたし。
……というのが物語の概要です。
いえ、「物語」と書きましたが、『日本書紀』の中ではフィクションではなく、あくまでも本当にあった歴史として紹介されています。この時代はまだ、史実と神話の区別もはっきりついていなかったんでしょうね。
他にも主人公の名前が太郎ではなく浦嶋子だったり、乙姫の代わりに亀が変身した美女が出てきたり、竜宮城ではなく蓬莱山に向かったりと、いろいろ気になるところはありますが、ここで最も興味深いのは、浦島が「異世界」に向けて出発した時点で物語が終わっている点でしょう。お伽噺でお馴染みの「3日間だけ竜宮城で過ごした浦島太郎が故郷に帰ってきたら、300年の月日が経っていた」というくだりは描かれておらず、浦島は丹波国から旅立ったまま帰って来ておりません。
なんでこんなことになったのでしょう。
数字に明るいかたならピンときたと思いますが、「300年の月日が経ってしまっていた」というのが仮に事実だとすれば、西暦478年に異世界に行った浦島の帰郷は、西暦778年。
「日本書紀」が書かれたのはそれに先立つ720年ですので、浦島太郎が竜宮城から戻って来るまで、あと58年ほど待たなくてはいけなかったのです。有名な玉手箱を開けるくだりは、後の世に著された書物にようやく出てきますが、おそらく丹波国に帰って来た浦島に聞き取り取材をしてから書かれたものなのでしょう。
とまあ、にわかには信じがたい話もいっぱい出て来ますが、この『日本書紀』は、日本最古の歴史書とされています。勅選の正史――つまり「天皇の命によってまとめられた正式な歴史書」ということですので、今ふうに言えば公文書と言うことになります。
片仮名や平仮名がまだ生まれてすらいない時代に、時の政権が国の歴史を取りまとめたのもすごいことですが、さらにその後、1300年の間に原本は失われてしまい、日本はいくつもの戦乱や飢饉や天災を経験しましたが、一部の欠損があるとはいえ、現代でも文庫や電子書籍で『日本書紀』を読むことができるのは、たくさんの人々が写本を作るなどして、後の世に伝えるため努力した結果です。
過去に書かれた公文書を未来に引き継ぐ――それが文明国家というものでしょう。