アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第45回「キングコング対ゴジラの夏」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 元祖怪獣映画ファンとしては待ってましたの『ゴジラVSコング』が5月14日から公開されるはずがシネコン休業で延期になってしまった(5月12日現在未定)。せっかく、新旧の比較をしたかったのに、とりあえず旧の『キングコング対ゴジラ』(1962年)の封切り当時の話をしよう。こちとら小学3年生。
生まれて初めて怪獣映画の封切りを観たのがこれだ。夏休み、親父と姉貴(中学生)と3人で観たんだが、姉貴は2本立てのもう1本、『私と私』(ザ・ピーナッツ主演の歌謡映画。これも面白かったけどね)が目当てだったようだ。その前年(1961年)に封切られた『モスラ』は、封切りではなくて三番館(新橋のガード下の映画館)の狭い館内だったので、やっぱり怪獣映画は大画面の封切り館(道玄坂にあった渋谷東宝だよ)でなくてはあかん。
 それでこの2本立ては、当時1200万人という空前の観客数で超大ヒットだったのだ。おそらく日本中の小・中学生の男子はほとんど観たんじゃないか。覚えているのは夏休みの前から、「ゴジラが勝つかキングコングが勝つか」の話題で盛り上がり。なんとなく悪役ゴジラを応援するほうが多数派だったようだ。まあ形態からいってもキングコングは所詮は巨大なゴリラだからね、そこへいくとゴジラは単に恐竜ではないオリジナリティがある。
盛り上がった理由はもう一つ、「怪獣の日米対決」をプロレス風に宣伝したことだ。この62年という年は、以前にも書いたがプロレスのワールドリーグ戦が大フィーバーして、テレビを観てた老人がショック死するという事態にまでなったのだ。

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