アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

内部・外部告発、情報求む!

(弁護士などのプロが調査。ただし、公益性あるケースに限る)

<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第32回「007と0011」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 ショーン・コネリーが亡くなって思い出すのは007とスパイブームの時代だね。今から55年も前の1965年、こちとら小学校6年生だ。前年に公開された『007危機一発』が大ヒットして、おまけに主題歌の「ロシアより愛を込めて」も売れたので、ジェームズ・ボンドに扮したショーン・コネリーもすっかり人気者になった。そして65年には『007ゴールドフィンガー』と『007サンダーボール作戦』とまたまた大ヒット。
 特に『ゴールド~』は、プロレスラーのハロルド坂田扮する怪人オッドジョブというのが凄い迫力だった。ボンドのパンチも平気でニヤニヤ笑ってるし、片手でゴルフボールを軽くつぶしてみせ、鋭い刃を仕込んだ山高帽を飛ばして相手を殺すという怪物で、その強敵にボンドがどう闘うかが見ものだった。
さらに当時の少年たちをワクワクさせたのが、ボンドの愛車アストン・マーチンの凄い性能だ。車に隠された武器からアッと驚く脱出法まで、少年雑誌の特集グラビアでも登場してたっけ。
そんなわけで、映画もスパイ映画が続々封切られる。なかには『00Hその時一発』とか『077地獄のカクテル』といった紛らわしいタイトルの安価な映画も多かったが、それなりに面白かった。

この続きを読むには有料購読の登録が必要です。

関連キーワード
検索

カテゴリ一覧