アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

内部・外部告発、情報求む!

(弁護士などのプロが調査。ただし、公益性あるケースに限る)

<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第27回「としまえん→船橋ヘルスセンターの思い出」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

8月31日にあの「としまえん」が終わりになるというのでニュースでも大きく取り上げられていたけど、これで思い出したのが「船橋ヘルスセンター」だ。
こちとら中学2年(1968年)に船橋に越して以来、途中、東京暮らしを挟んで、また船橋に戻って来たという人生の大半が船橋市民である。
あの頃の船橋の最大の自慢がこのヘルスセンターだった。「船橋ヘルスセンター」(1955~77年)は、「12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート」という派手なキャッチで開業した総合娯楽施設だった。今でいう健康ランドみたいにいろんな風呂が楽しめ、お座敷で大宴会、映画も上映、歌謡ショーあり、遊園地、ボウリング、プール(大滝すべりという長大なすべり台が人気)、ゴルフ、テニス、オートレース場、遊園地、潮干狩り、海水浴場と、もう何でもありのパラダイスだったのだ(常磐ハワイアンとか、ああいう観光施設にも似ている)。
中・高生の頃はよく行ったもんだが、隣の谷津遊園に宙返り型ジェットコースターができたときは「ああ負けた」と思ったよ。しかし、いつしか昭和の世界てんこ盛り娯楽施設はどこもすたれて、その跡地は、どこにでもあるショッピングモールとシネコンの「ららぽーと」になるわけだが、なんだか味気ないんだよ。
1960年代後半から70年代前半の頃の船橋って、風俗とヤクザとストリップとギャンブル(競馬場とオートレース場)がごった煮になった面白い町で、駅前には西武デパートもあり路上でアサリ売ってるおばさんが沢山いて、横丁では愚連隊なんかがカツアゲをやってる。ヤクザの方々も、ちゃんと「俺はヤクザだ」てな感じで歩いている。不良やチンピラもいかにも不良・チンピラだって感じで、基本的には分かりやすかったのだ。朝の通学時間だっていうのに駅前でケンカして鼻血だしてる高校生なんてのも珍しくはなかった。

この続きを読むには有料購読の登録が必要です。

関連キーワード
検索

カテゴリ一覧