アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「往事茫々日記」第8回 「たけし軍団の『フライデー』編集部襲撃事件」

 北風がうなり白いものが舞う寒い日、炬燵に入って惰眠を貪っていたら、週刊誌時代の後輩から見舞いの電話があった。心身ともに不調がつづいている。このブログに書く与太記事にも思いが到らない。ついでだから「何かリクエストはないか?」と聞いてみた。「では、たけし事件なんかどうですか」。「あれはまったくノータッチ。書くほどのことは知らない」とは言ったものの、面倒くさいので多少思い出す記憶を記してみる。
北野武とその軍団が「フライデー」編集部を襲撃した所謂「たけし事件」についての昔話だ。
週刊誌のフリーランス記者は三十年やったが芸能取材はほとんどない。河原者の世界には疎い門外漢である。。頓珍漢なことを書いたらご寛恕願いたい。
事件のあった昭和五十八年は前に書いた野村秋介さんの「石川カメラマン救出」の年だ。その前年には野村さんや人権派弁護士の遠藤誠さんたちと静岡の「一力一家問題」などをやった。だから日本青年社の衛藤豊久さんともすでに縁があった。
 承知のごとく、北野武がツービートという漫才コンビで売り出した頃、「毒ガス」と称した放送コードぎりぎりの毒舌、過激発言をめぐって日本青年社の抗議を受け窮地に立たされたことがあった。
「君のように社会的に影響力のあるタレントが『赤信号みんなで渡れば恐くない』などという違法行為を助長するような反社会的発言をするのは問題だ!」ーーたしか、日本テレビなどに街宣をかけたのだった。
「あれはシャレでして」なんて言い訳が通用しないから芸人も困っただろう。
 その頃、衛藤さんに「テレビの深夜番組のエロがいきすぎだ。何とかならないか」という相談のようなことを何度か受けた記憶がある。風紀の乱れは愚生本人が「風紀紊乱」そのもののようなヤサグレ記者だったから、そう言われても何とも答えようがなかった。たしかに時はバブル前夜、誰もが浮かれていた時代だった。(横写真=「ZAKZAK」より)

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