「恨みと羨望と嫉妬と後悔にまみれた人生も味わい深いのではないかと思う」ーー中島義道は『不幸論』で書いている。大森荘蔵はいう。「世界は刹那滅的なのである」と。老爺の枯淡は理想である。だが独り身の老人は屈託を抱え韜晦の気分に沈んでいる。貧寒老人の「たずきの道」もまた険しいのだ。
最初に先日読んだ内田樹の『武道的思考』から「目から鱗」の“達見”を紹介する。本はもう図書館に返却してしまったのでうろ覚えで少しあやしい。いまや「オジサン思考」のアイコンとなった内田は「日本がこの半世紀で失ったものは“負ける作法”と“たしなみ”ではないか」という。たしかに昔、少年期に「戦争に負けてよかった」という言葉を話す大人は少なくなかった。いま日本は「アメリカの属国という悲しみと恥を国民的に共有している」。そして内田はいうのだ。「日本のけして口にされない“国是”は、またアメリカと戦って“次は勝つこと”である」と。普天間も尖閣も「尊皇攘夷」論で読み解く情理をつくした理路は例によって痛快きわまりない。
「ピース缶爆弾真犯人」牧田吉明がらみで「土・日・ピー缶事件」の冤罪被告だった知人から連絡があった。「あの事件は仙谷が実質的弁護団長だった。記憶力といい法理論といい優秀な弁護士だったが、時々酒臭い二日酔いで法廷に立っては検察側の証人をボロクソに罵る。で、裁判官に注意されるとすぐ殊勝に謝る。いまと変わってないな。代議士になった頃までは昔の新左翼の会合にも顔を出しては〈俺は全共闘だ〉って元気がよかった。フロントだったからね。総会屋の小川薫とも親しくて〈お前も総会屋になれ〉なんて冗談を言われたこともある。いまや完全に“赤い小沢”だね」。
蛇足ながら、この「警視庁公安の汚点」ともいえる「フレームアップ事件」の被告には公明党代議士の息子などもいたが、A級戦犯である担当の東京地検公安検事はのちの公明党代表である。それは「いかんざき」と大いに嗤っていい。
「長枕」になってしまった。霞んだ記憶から「過去」を逍遙していくつかのトピックを記そう。