筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
コロナ騒ぎで「新しい生活様式」なんてのが登場して、やれ、名刺交換はオンラインでやれだの、食事は横に並んで2メートルあけろだの、食べる時はおしゃべりするなとか、ずっこけそうなものばかりだ。そんななかで、こちとら物書き稼業も、生活様式の変更を要請されだした。
たとえば編集者との打ち合わせやインタビュー取材は、できるだけ直接会わない。オンラインで何とかする。飲み会もズームでやるとか、めんどうくさいな。ただし何年も前から、メール上のやりとりだけで仕事して、顔も合わせない、声も聴かないなんてことはよくあった。しかしこのご時世で「新しい生活」だの「スマートライフ」なんて言われるとしゃくだ。大体オンライン飲み会なんて悪酔いしそうだよ。そんなわけで今回は、昭和の編集者とライターの関係はどんなだったかを振り返ってみることにした。
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時代は1980年代の半ば頃、週刊誌も情報誌も男性誌も女性誌も、今よりずっと熱気あふれていた時代だ。まだ携帯もメールもネットも存在しない、ワープロもこれから、ファックスも珍しかったから原稿はほとんど原稿用紙に手書き、それを編集部まで持参するのだ。
担当のデスクが目の前で一枚一枚めくって、付箋をつけたりして、「こことここ書き直し」「冗長すぎる、30行カットして」「追加取材して、あと40行入れて」とか言われて、空いているデスク(ライターは自分用のデスクは存在しないのだ)で、本当の締め切り(印刷会社の営業の人が来て、編集部が用意した原稿やゲラや写真を持ってゆく時間)までに、必死で作業するのだ。手書きのために指にタコができて痛くてたまらんの。
たとえば、ある雑誌でファストフーズのハンバーガー食べ比べの何頁かの記事を頼まれたって話。初校ゲラをチェックしていると、