アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第15回「新コロナで思い起こす昭和30年代の衛生状況」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 来る日も来る日もコロナウィルスの話ばかりだが、そこで思い出したのが昭和30年代頃の感染とか予防接種や世の中の衛生状態のことだ。
あの頃は衛生状態が今では考えられないくらいひどかった。家も小学校もトイレは汲み取りだし、通学路にはこやし溜めがあって、時々石投げて遊んだり、ハエはたかるし、鼻水たらしっぱなしの子どもが袖でふいているし、道を歩いていると野良犬のクソをふんじゃったりするし、道が舗装されてないもんだから土ぼこりで目の病気になり、学校ではやたらと怖そうな名称の予防注射だとか、寄生虫対策の虫くだしとか、尻にセロテープみたいなのを貼って、はがしたのを提出するとか、よくまあ無事に成長したもんだよ。
 予防注射で覚えているのは、ツベルクリン反応とかで注射したあとが赤く腫れて陽性にならないと、BCGという恐ろしく痛い注射を肩にした。予防注射はほかにも腸チフス、ジフテリア、日本脳炎とかいろいろやったが、なかでも痛かったのが日本脳炎。もう聞いただけで恐ろしいので痛いのも我慢するんだけど、今から思い返すとワクワクするような感じもなくはなかった。
それから当時の保健衛生図鑑みたいなのを開くと、やたらと精密な図解で、たとえばトラホーム(トラコーマ)になると眼がこんな状態になるとか、寄生虫のさなだ虫は全長7メートルもあるとか、なんだか怪奇ものを見るように結構ワクワクしながら回し読みしたもんだよ(保健室に置いてある)。
野菜をよく洗わないと、お腹の中で寄生虫が…なんて脅かすものだから、野菜を中性洗剤を垂らした水で洗うなんて、とんでもないことやっていたのだ。(CMでもやってた)。今だと大問題だけど、まあ一方で食品添加物も人工甘味料のチクロだとか、派手な着色料とか平気で使っていたんだからね。

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