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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第3回「すっかりいなくなってしまったプレイボーイ、高等遊民」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 最近そういえば「プレイボーイ」って言葉、あんまし聞かなくなってきたね。直訳すれば遊び人か。でも、ちょっとニュアンスが違う。ズバリ、『週刊プレイボーイ』は今でも健在だが、電車の中や喫茶店とかで読んでる若者って見たことない。自分もここ何十年も買ったことなく、せいぜい新聞広告で見出しを追うくらいだが結構、政治問題でも真っ当で。老人対策週刊誌ばかりのなかでは、昔ながらの路線で頑張っているようだ。
『週刊プレイボーイ』の創刊は1966年。
ライバル誌の『平凡パンチ』が1964年。いずれも初めての本格的な青年向け週刊誌だったのだ。創刊を宣伝するキャッチが「国際感覚あふれる新男性週刊誌誕生」だもん。売りはヌードグラビア(外国人モデルが多かった)、車、ファッション、音楽、映画、旅行、海外の流行と、まあ先端を行く若者にとってパンチとプレイボーイは必須アイテムだったわけだ。
 こちとら中学生の頃(66年~68年)は、兄貴がいる友達の家に遊びに行くと、大体パンチかプレイボーイがあって、ヌードグラビア見て「おおっ、すげえ!」なんて興奮していた(昭和のガキだね)。その頃、プレイボーイの人気コーナーで人生相談っていうのもあって、作家の柴田錬三郎が軟弱な若者を叱りつけるようなこと言っていた記憶がある。
1970年代に入って大学に入ると、もうパンチやプレイボーイを読んでいる学生は田舎者とかダサいなって雰囲気になってきた。あの頃は、外車乗り回してナンパしているような学生もチラホラいた。見るからに高そうなファッションで、大学にも教科書も持たずに手ぶらで来たりね(それがカッコイイのか)。でも、本物のプレイボーイって多分週刊誌なんか読まないだろう。
そういえば最近、大学の近くなんか歩いていても、プレイボーイ風の学生っていないね。ほとんど地味で、真面目に授業で出て、紳士服チェーンで購入したようなダサい黒スーツで就活している。
それから、車だナンパだのといったプレイボーイではなく、高等遊民てのもいなくなった。

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