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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第2回「マカロニ・ウエスタンがB級とは言わせない」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 前回も少し触れたクエンティン・タランティーノ監督の新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では、1969年当時のネタが盛り沢山だけど、なかでも印象に残ったのがマカロニ・ウエスタンがらみの話だ。
レオナルド・ディカプリオ扮する往年の西部劇スターが、落ち目になりイタリアまで遠征してマカロニ・ウエスタンでなんとかしのぐというもの。実際、テレビのヒット番組『ローハイド』で、カウボーイ役で人気があったクリント・イーストウッドが、その後のハリウッドではパッとせずに、マカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』で大ブレイクしたのは有名な話だ。
日本でも最近はマニア向けの解説本などが続々出ているけど、正統派西部劇ファンに言わせるとマカロニなんて邪道、B級、格下扱いで、そもそもマカロニ・ウエスタン(アメリカではスパゲティ・ウエスタンなんて呼ばれていたらしいが)なんて呼び方からして、ゲテもの扱い。当時は残酷西部劇なんてレッテルを貼られたりした。
確かに残酷なバイオレンス・シーンが目玉で、ヒーローも無精ひげで汚れた感じ、拳銃の音も独特で、おまけに音楽がディープな雰囲気を醸し出す、なんともいえないジャンクな味わい、そこがまた魅力的だったのだ。
 小生が初めてマカロニ・ウエスタンを映画館で観たのは1966年、中学1年生の時だ。家の近所にあった3本立ての場末の名画座(トイレの芳香剤の匂いが漂ってくる。タバコを吸っている客もいた)で、『続・荒野の用心棒』(セルジオ・コルビッチ監督)という、主題歌の「ジャンゴ」が大ヒットして主演のフランコ・ネロが後に大スターになったマカロニファンの間ではトップ3にランクされるほどの作品なのだ。

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