6月8日、慶応・医療過誤訴訟の証人尋問で、「カルテ偽造」などの犯罪的行為を婦人科が行っていた可能性を示唆する驚くべき証言が、向井万起男准教授(冒頭左写真。病理診断部長)の口から飛び出したのは本紙既報の通り いったい、わが国を代表する慶大病院(冒頭右写真)の婦人科で何が起きていたのか? そこから見えて来たのは、婦人科の組織的腐敗だったーー。
関係者の話などを総合すると、婦人科は、慶大病院にあっても特殊な存在であることがわかって来た。
大学病院では、通常、「病理専門家」がおり、病気の組織診断はこの専門家の所属する「病理診断部」(向井氏はそこのトップ)が行っている。ところが、婦人科だけは、病理診断部ではなく、婦人科内部で行って来たという。なぜなら、婦人科は「研究材料としての組織を自分たちだけで持っていたかった」からだという。
その点、誤診が争われている元患者K子さん(享年26歳)は格好のサンプルだった。結果は子宮肉腫だった(正確にいえば偽肉腫=CPFSPだった可能性もないではない。だが、偽肉腫でも悪性=肉腫に転じる場合もある)が、この種類の肉腫が若い女性に発生することは珍しく、なかでも妊娠中の発生は極めて稀だった。また、3本の細いポリープという形も稀で、これまでのこの手の「偽肉腫」(良性)の報告は世界でもわずか21例だった。(横写真=向井氏の妻は宇宙飛行士の向井千秋氏。千秋氏も慶応大医学部卒の医師)
K子さんは03年8月に慶應に来院。04年12月に亡くなるが、婦人科の主治医S医師は「偽肉腫」(良性)と判断し、経過観察とし、慶應は04年6月の日本病理学会、7月の日本臨床細胞学会で稀なケースとして発表している(ただし、K子さん死去後の発表はない)。
これだけなら「不幸な結果」で済むのかも知れない。だが、向井氏証言によれば、S医師と婦人科は決定的なミスというより、重大な隠蔽工作を行っていた可能性が高い。
「偽肉腫」(良性)であれば、頻繁な再発はないとされた。ところが、K子さんのケースでは、慶應に来院した03年8月にその患部ポリープを切除したにも拘わらず9月、10月、11月と短期間に立て続けに再発し、この時点で都合3度切除したにも拘わらず、病理診断部の向井氏には11月の切除(つまり1度の再発)しか報告されてなったというのだ。
「『偽肉腫』の根拠の一つに多発性のポリープだったということもあるのですが、実はカルテを見ると、多発性ではなく、大きな一つのポリープだったこともわかっています。切除する際、バラバラに崩れてそう見えただけだったのです。こうした情報が正確に伝えられていたら、向井さんは肉腫ないし偽肉腫でも悪性の可能性大との判断で直ちに子宮摘出を勧めたはず。そうすれば、患者は助かった。むろん、学会発表の内容もまったく違ったものになった。これは誤診ですらなく、未必の故意といってもいいレベルの話ですよ」(関係者)
ここで、読者にはわかり難いので解説しておこう。
前述のように、婦人科は科内で独自に組織診断していたのなら、病理診断部の向井氏がそもそも登場する余地がないのではないかと。