1970年、「革命」「ゲリラ戦争」などの字面が紙面を踊る、新左翼機関紙ばりの『構造』と言う雑誌が創刊したが、実はオーナーは総会屋だった。これは1年で廃刊となり、『創』となるものの、82年の商法改正で『創』を含む総会屋系雑誌は一挙に壊滅。 しかし1982年、新生『創』が著者・篠田博之氏らの血のにじむような努力によって、再出発する。 この経緯も興味深いが、1982年から現在に至るまでの『創』の歴史は、まさに日本のジャーナリズムの歴史でもある。ただし主流ではなく、「市民の立場に立って、権力を監視する」という原則に忠実であるがゆえの、異端の歴史といえるかもしれない。 麻原元教祖三女の入学拒否事件や、和歌山カレー事件・林真須美死刑囚、あるいは宮崎勤死刑囚とのやり取り等は、ほとんどのメディアが彼らを「加害者」として一方的に断罪するだけのなか、貴重な情報源となった。 皇室タブーなど「言論の自由」に関わる右翼との熾烈な攻防、コミック規制反対運動など、『創』の戦いの歴史もあるが、「イトマン事件と家宅捜索」(第4章)は今も「重たい後遺症」として残っているという。 本紙・山岡が登場する「武富士盗聴事件と裁判闘争」(第10章)では、武富士による「恫喝裁判」と闘い、山岡宅の盗聴事件で武富士会長を有罪に追い込んで勝利した、その一部始終がまとめられている。(横左写真=山岡の事件の著書。右=山岡自宅放火事件についても10章では触れられている) 近年、フリージャーナリストを標的にした、企業による「恫喝訴訟」が頻発するなか、この闘争記録は参考になるのではないか。 雑誌ジャーナリズムが次々と廃刊している。硬派の「創」が今も精力的に出版活動を続けているのは奇跡に近い。編集長の奮戦記である本書を、ぜひ多くの方が手にとってほしい。…