去る5月31日、法政大学当局と公安警察による、学生運動への“不当弾圧”としか考えられない「暴処法(暴力行為等処罰ニ関スル法律)裁判」につき、東京地裁は被告全員に無罪判決を下した。
この事件、かいつまんでいえば、大学正門に掲げられた特定の学生に対する入校を禁じた看板を「共謀して壊した」として、09年5月に11人の学生を逮捕(うち5人を起訴)したというもの(冒頭写真は、無罪判決を受けた5人の元学生ら)。
ちなみに、学生に対して暴処法が発動されたのは、「東大ポポロ事件」(1952年)以来、戦後2度目のことだ。
なぜ、彼らは看板を破壊した疑いを掛けられてしまったのか。
今回、5人のうちの1人、元法政大学生の増井真琴氏(24歳)にインタビューした。
「90年代以降、日本の大学は、私立・国公立を問わず、『大学改革』という名のもとに、経営優位路線をとり、学内規制を強めていきました。そこでは、キャンパスの美化に相応しくないものも取り壊していった。主として、学生会館の解体、自治会非公認化、学生のあらゆる行動への制約です。たとえば、立て看板の禁止あるいは申請制、所定の場所以外のビラ貼りの禁止、ビラ配りの禁止、などです。法政大学では、文化系サークルの連合体である『文化連盟』(文連)の非公認化が行なわれました」。
「当時の文連には、33の文化系サークルが加盟していました。サークルの垣根を越えての飲み会、合宿などが行われ、様々な人と出会える場だった。学科のゼミや、サークル内では賄いきれない人との出会いが、そこにはあった」と増井氏は当時を振り返る。