アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<新連載>「田沢竜次の昭和カルチャー甦り」(第2回)

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 前回の「ゲゲゲの女房」でもう一つ、胸に迫る展開が、月刊『ガロ』(劇中では『月刊ゼタ』になっている)がからむところだ。マニアックなマンガ・劇画ファンにはおなじみの月刊『ガロ』は、60年代半ばから70年代初めにかけてが全盛時代だった。
メインは白土三平の「カムイ伝」で、あとは、聞いたことのないマンガ家が独特なスタイルで売れセン二の次で描きたいマンガを発表していた。のちに、60年代後半の学生運動経験者やその周辺にいた、いわゆる全共闘世代の人たちと話すと、大抵『ガロ』を読んでいたという。よく「片手に少年マガジン、片手に朝日ジャーナル」といわれるが、ここに『ガロ』も加えるべきだろう。一方、『ガロ』のライバル誌といわれたのが虫プロが出した『COM(コム)』で、こちらは手塚治虫が、未完の大長編「火の鳥」を連載していた。
小生が、本屋でたまたま『ガロ』を立ち読みしたのが中学2年のとき(1967年)、少年マンガ誌にはない異様な面白さとシュールな大人の世界にはまってしまい、以降は毎月欠かさず72年頃までは買い続ける。古本屋に行くと、67年以前のものが格安で売っていたのでちまちまと買いそろえていった。
 テレビでは、村上弘明扮する『ゼタ』の編集長(モデルは『ガロ』編集長の長井勝一)が、売れない雑誌であっても志を貫くさまと売れっ子になった水木も、原稿料なしでこの雑誌に描き続けるエピソードが感動を呼ぶのだが、当時『ガロ』で読んだ、数々の水木マンガは忘れられない。
さてそのなかで、『ゼタ』を大手出版社から編集長職はそのままで合併しないかとの誘いの話が来る。しかし実際は、白土や水木らの人気作家だけ欲しいというせこい思惑が明らかになり、村上扮する編集長はこの甘い話を断るのだが、実際、当時の小学館(1968年頃)が合併話を進めていたらしい。

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