アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第15回)「280円のユッケ食中毒事件に思う」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 今回も「3・11」でテーマを考えていたところに何と、焼肉チェーン店でユッケを食べた客に食中毒で死者4人(5月8日現在)、重傷者多数という想定外?の惨事が起きた。
そこでこの話題に切り替えだ。ただしこのコーナーは、事件の背景や深層を究明するものではない。そこから見えてきた昭和のイメージに結びつける。つまり、牛生肉ユッケ280円で提供という倒錯した外食の「常識」の源流はどの辺りにあったのかってことだね。
思い出すに、少なくとも小?中学生時代(1960?71年)、牛肉ははっきり言って高級だったよ。テレビドラマでもマンガでも、ごちそうの場面にはしばしばすき焼きが登場した。牛丼もハンバーガーもまだポピュラーなメニューじゃなかったわけさ。
 そんな中で、1971年の秋頃であったか銀座に「マクドナルド」1号店がオープンする。「売り」はビーフ100パーセント、値段は80円。といっても大卒初任給が4万?5万、日通で一日引越しのバイトをやって2千円、タバコのハイライトが80円、という時代だから、結構高級なのだ。高校のクラスメートで銀座に出向いて早速パクついたぜよ。銀座のホコ天で歩きながら味わうというのが「ナウいヤング」だ(当時、新発売のカップヌードルもホコ天で食べられたのだ)なんて言われていたが、実際は、不味くはないけど予想していたよりもパサパサした薄っぺらい(要するに今と同じなんだが)バーガーだなあって印象だったな。むしろ、おやつメニューのホットアップルパイ(ああいうのは今までなかった)のほうが美味かったぞ。

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