筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
3月11日は郡山の野球場で、加藤登紀子の歌を生で聴いた。加藤登紀子といえば最初の記憶は、今から46年も前、1966年のレコード大賞新人賞を「赤い風船」という、今はほとんどの人が知らない歌で受賞したこと。ニュースだったのは「現役東大生」だったことだね。レコ大新人賞といったら芸能界のアイドルだかんね、それが東大生ってのは前代未聞だったと思う。ちなみに、もう一人新人賞をとったのが、何と荒木一郎(「空に星があるように」)で、二人とも後々は芸能アイドルの枠を飛び越えちゃったもんね。そこでこの1966年という年をあらためて振り返ってみると、いろんな意味で凄いというか大変な年であったことが分かる。ビートルズ来日、エレキブーム、グループサウンズ、早大闘争(全共闘の先駆け?)、相次ぐ飛行機事故、「ウルトラQ」と「ウルトラマン」、怪獣ブーム(大映では、この年だけで『大魔神』が3本も)、そんな中で、今でも現役でやたらと元気な加山雄三が大活躍の年でもあった。
加山雄三といえば、まずは映画の「若大将シリーズ」である。66年当時、小学6年から中学1年にかけてのわしの同世代(特に男子は)は、東宝怪獣映画の2本立て作品で「若大将」に出会う。たとえば、65年夏の『フランケンシュタインVS地底怪獣バラゴン』の併映が『海の若大将』、66年お正月の『怪獣大戦争』の併映が『エレキの若大将』なのであった。特に『エレキ?』は後々語り継がれる映画だが、加山雄三がエレキで歌いまくり大ヒットした『君といつまでも』も、ヒロインの星由里子相手に「幸せだなあ」という名シーンが忘れられない。ともかく、映画に歌に、加山雄三は1966年を代表するトップスターだったことは間違いない。しかしである。