2011年8月9日(火)午後10時ごろ(推定)、石野達也さんは東京都練馬区の自宅浴槽内で亡くなった。享年29歳。
達也さんは父親・石野剛史氏(冒頭左写真。65)と当時、2人暮らし。父は新宿区内で深夜営業の洋服店を経営しており、達也さんはその手伝いをしていた。
父が達也さんを最後に見たのは、仕事に出る間際の当日午後3時30分ごろ。前日が母親(別居中)の誕生日で、父は達也さんが何もプレゼントしていなかったことから、代わりにプレゼントを買って渡しておくといったのが親子の最期の会話となった。
達也さんを最初に発見したのは父。翌8月10日午前4時ごろ、仕事から帰って来てのことで直ちに消防署に通報。警察(刑事1名、鑑識3名)も来て一旦遺体は警察に。その後、遺体は東京都監察医務院に送られ、10日午後2時から約50分かけ行政解剖が行われた。その結果、「睡眠剤及び精神安定剤中毒死」で自殺とされた。
だが、父・剛史氏は自殺はあり得ないという。
「達也とは一緒に暮らし、仕事も手伝ってもらっていたんですよ。自殺するほどのことがあれば、父の私が気づかないわけがないでしょう。しかし、まったく思い当たらない。それに最期の会話で、私が母親にプレゼントしなかったことを指摘したら達也はえらく怒ったんです。死ぬ人間がそんなに怒りますか?
警察が自殺と判断したのは、現場にあった睡眠薬、精神安定剤の2週間分の治療薬のカラと、浴室に置かれていた達也の携帯電話に入っていた遺書めいたメール記録の2点からのことです。私も死の直後は、警察がそういうんだから自殺と思っていました。しかし、その後、携帯の他のメール記録を発見して疑問を抱き、この間、私なりに大学図書館で専門書を調べたり、複数の医師や薬剤師などに話を聞いた結果、いまでは監察医の判断も矛盾だらけで、息子は殺されたと確信しています」