稀代のパロディストである著者は、同時に、物事の本質を瞬時にかぎ取る実に鋭い感性の持ち主でもある。 ネタ探しのため、10年以上前から集めた謝罪会見写真付きの新聞記事コレクション約300件のなかから厳選、謝罪に至った経緯などの解説と共に、著者の本質を突いた見方が披露されている。 旧知の仲のデーブ・スペクターと対談し、謝罪の日米比較もされており、本書を読めば、この日本特有の「謝罪文化」(国民の多くは、そこまで謝っているのだからと許してしまう)が総じて、いかに責任の所在や真相究明を曖昧にさせ、わが国あげて総無責任体制が罷り通っているか実感させられる。 それにしても、よくもまあ、これだけ謝罪会見が全国で行われていると改めて驚くと共に、唖然とさせられるが、本書の売りはむろんこれだけではない。 著者の優れた洞察力は、山一証券や長銀破綻、野村・一勧事件、さらにグッドウィル・折口雅博氏の謝罪会見の裏などに米国・外資の思惑を見る。 逆に事件化しても謝罪会見をしなかったケースとして、ハンナンの朝田満、ライブドアの堀江貴文、防衛省次官だった守屋武昌の3人を挙げ、その背景にも言及している。 その他にも、りそな銀行救済と植草一秀痴漢事件の奇妙な符号、永田議員偽メール事件の背景、ライブドア事件と耐震偽装事件の関係など、「おや!?」と思う記述が続々。 著者は、こう訴える。 「ジャーナリストは“裏を取らないと書けない”という。でも、相手が巨大権力の場合、そんなことは無理。その点、パロディストは“臭い”と感じたら即、それを風刺できる。ジャーナリズムでもそれを何らかのかたちでやらなきゃ、国民は物事の本質を見る目が養えないどころか、ますます衰える一方じゃない」 (740円+税) ○マッド・アマノ氏のHP(←ココをクリック)…