筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
2012年も大詰めになって、またまた大ニュース。一つは、昨日(21日)の夕刊で知った映画監督・森田芳光の急死(享年61歳!)と、由紀さおりの「1969」(夜明けのスキャット)の国際的ブレイクである。実は、この二つは結び付く。森田の作品のなかでもベストといわれる『家族ゲーム』(1983年)での母親役が由紀さおりだったことだ(父親役の伊丹十三も、家庭教師役の松田優作も逝ってしまった)。
この頃、由紀さおりの印象は、歌手としては過去の人だったが、ちょいととぼけた母親役が結構良い感じで、なかなかやるのうと思った記憶がある。特に、ラストシーンに、迫り来る意味不明のヘリの音に「何かしら」とめんどうくさそうに反応する演技が絶妙。あの「夜明けのスキャット」から42年、『家族ゲーム』から28年、歳月を経ても由紀さおりはますます元気である。それにしても1969年は、歌謡曲、特に女性歌手の黄金時代だったのだ。
中学3年から高校1年にかけての、わしの記憶に残っているだけでも、いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、弘田三枝子「人形の家」、青江美奈「池袋の夜」、黛ジュン「雲にのりたい」、小川知子「初恋の人」、千賀かほる「真夜中のギター」、カルメンマキ「時には母のない子のように」、中山千夏「あなたのこころに」、新谷のり子「フランシーヌの場合は」、佐良直美「いいじゃないの幸せならば」、なんてのが流れていて、さらに70年にかけて、ちあきなおみ、奥村チヨ、辺見マリ、藤圭子、和田アキ子、日吉ミミ、森山加代子、渚ゆう子、と大物が続々出てきて、その後は70年代のアイドル黄金時代に突入する。60?70年代歌謡曲が音楽人生の中核のわしとしては幸せな時代だったのだ。どうでもいいけど、みんな「顔」が個性的だ。最近のAKBあたりの同じような人工的サイボーグ顔とはえらい違いだぜよ。