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2006年初頭のライブドアショックで新興市場株が暴落し、東証2部、投資会社「ジェイ・ブリッジ」(東京都墨田区)の子会社「ジェイ・キャピタルマネジメント」(JMC)が組成していた企業再生ファンドも壊滅的な打撃を受け、当時のジェイ社代表取締役であった桝澤徹氏(冒頭写真)やJCM関係者たちは頭を悩ませていた。
こうした中で、以前から桝澤氏の優良顧客であった、福岡県の医療法人「杏林会」の大口出資者らとの交渉を経て、同医療法人の社員から出資持分全額を買い取り、ジェイ社の傘下に入れる「医療再生ファンド」構想が持ち上がった。
当初から、ジェイ社幹部の間では「桝澤による大口顧客への損失補填ではないか?」という噂もあったが、桝澤氏はジェイ社及びJCM関係者に対して、「起死回生を賭けた優良事業」として医療ビジネスへの参入をぶち上げた。
これを桝澤氏と共に主導したのは、当時のジェイ社執行役員の田畑憲一氏だった。
この計画が推進される過程で、ジェイ社役員会やJCM会議における桝澤氏の説明は、「医療法人自体は法律で配当できないことから、この医療ファンドを募集するに当たっては、ファンドの配当の原資として病院の不動産を買い取り、それを病院に賃貸することで安定利回りを確保する」というものだった。
具体的には、その予算配分として、まず総額41億円のうち半分(20億円強)で出資持分の譲受を受けて経営権を確保した上で、残りの半分の資金(20億円強)で不動産を買い取るという計画だった。
また、「中央三井信託銀行の賛同を得てノンリコースローンを利用できるので、3%程度の金利で資金調達し、15%程度の運用益を挙げれば、利ざやは出資者に十分還元できる」という説明だった。
(以下に医療再生ファンドのチャート図掲載)