筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
新宿のアルタとか日比谷の帝国劇場が閉まるというのでニュースになっていたけど、正直言って、アルタにも帝国劇場にもほとんど思い入れはない。そもそも『笑っていいとも』もほとんど観ていなかった。アルタといえば最近では、デモの集合場所として「新宿駅東口アルタ前広場」なんてビラに明記されているくらいだ。アルタの出来る前の「食品のデパート・二幸」だった頃のほうが記憶に残る。帝国劇場も一度も入ったことはないね。
ところで歴史と伝統の建物がなくなるというニュースでいえば、あの丸の内東映が入った東映本社ビルが今年の7月に解体されるのを聞いて感無量だった。建ったのが1960年、直営の映画館としては東京では唯一で最古の建物だったのだ。1970年代、10代後半から20代にかけて、日本映画で一番観たのが東映、特にヤクザ映画であった。新宿昭和館や錦糸町、浅草、川崎などで旧作を追っかけることも多かったが、新作の封切りといったら丸の内東映に決まりだ。館内は広々として風格がある。冒頭の東映マークが出るたびにゾクゾクしていた。
もう一つ忘れちゃいけないのが、地下の丸の内東映パラスであった。ここは、日比谷~有楽町~銀座というロードショウ劇場のオアシスのなかにあって、ほぼB級ラインの洋画を上映していた。あのB級ホラーの大傑作『悪魔のいけにえ』(トビー・フーパ―監督)だって、封切り(1975年)の初日の最初の回に丸の内東映パラスに駆けつけたのであった。この丸の内東映とパラスの2館は、この界隈にあってもっともカップルが少なかった映画館だったと思うね。