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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第133回「西田敏行と『襤褸の旗』」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

西田敏行死去でまず思い出したのは、初出演の映画『襤褸の旗』(1974年。吉村公三郎監督)だね。明治時代の足尾銅山鉱毒事件と田中正造の不屈の闘いを描いた自主製作映画で、当時の三里塚芝山連合空港反対同盟が協力し、支援者もエキストラで登場している。
 西田敏行は当時、青年座に属し俳優としてはまだ駆け出しだった。ここでは足尾銅山操業停止を求めて闘う農民の青年行動隊リーダーの役で、1万人の農民が直訴のためにデモを行い、警官や憲兵と激突するその最先頭で竹槍を構えて突っ込むという勇敢な戦士。激しい弾圧で運動も抑え込まれるが、西田は最後まで闘い続けるのだ。まさに鬼気迫る演技で、公開当時は「新人みたいだけど、迫力のある役者だなあ」と印象に残っていた。大物になる素地があったわけだ。
もう一つビックリするのは、田中正造を熱演した三国連太郎が後々、『釣りバカ日誌』シリーズ(1988~2009年)で、コンビ(平社員のハマちゃんと社長のスーさん)を組んだことだ。二人とも『襤褸の旗』とはキャラクターも大違いだったけど、それもサマになっていて、つくづくこの二人は名優というか怪物だとあらためて思う。
さらに西田敏行の凄みを感じたのは、北野武の『アウトレイジ ビヨンド』(2012年)、『アウトレイジ最終章』(2017年)で演じたヤクザの親分。これが結構怖かった。西田ならではのアドリブにドスを効かせてのハマり役で、つくづく芸域の広さを感じさせてくれたのだ。

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