アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第14回「お世話になった人たち」

*以前の記事はこちらをご覧下さい(ココをクリック)。
新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

神無月に入ってようやく暑さがおさまった。果てしなく長い夏が終わった。
長く病んだ老人性熱中症もなんとか寛解したようである。
気がつけば黄金色の田園では刈入れもすんで稲穂がはぜに架けられている。
畦ではコスモスが初秋の風に揺れている。
老体は相変わらず座骨神経痛の痛みがつづいている。ステッキをついて足をひきづって歩く。
発作的に襲ってくる全身のかゆみ、頭皮や顔面にでる多くの吹出物は尿毒症のせいである。
一日24時間休みなくはたらく精妙なる臓器(腎臓)が機能を失った。代わりに週に3回、1回4時間ばかり機械で血液中の毒素を抜いているのだがそんなに完璧に除去できるものではない。
その残った毒素がかゆみや吹出物の原因である。
顔中にひろがるシミ(老人斑)は若い頃にビーチボーイをしていたせいである。若い頃にウルトラバイオレットを浴びつづけると年をとってこんな顔になる。
その風体で毎日のように近くの種畜牧場の周辺を目的もなく一人とぼとぼと歩いている。
その風体は我ながら老人らしい老人になったと思う。
最近、マイナカードや運転免許証を遺失してなんの身分証明を持たない無名の老人になった。
まるで亡命者のような孤独を感じる。世間に居場所をもたないその索漠さはえもいえず清々しい。何とも心地よい。

久しぶりに小田原の小林光男が遊びに来た。
例によって古希を過ぎた老人ふたりで塩田平の独鈷山へ山歩きに行った。
座骨神経痛でも腰痛ベルトをぎりぎりと締めつけ膝サポーターを巻けばまだ2時間ぐらいの簡単な山へはなんとか登れるのである。団塊老人はしぶとい。
独鈷山は最初、池内紀の「ひとつとなりの山」を読んではじめて来たのだった。以来10回は登っている。いくつも登山ルートのある山だが今回は久しぶりに池内の歩いた裏手の平井寺ルートを行った。
驚いたことに登山口までの林道がすっかり荒れ果てほとんど廃道寸前だった。通るクルマもないのだろう。小林の乗用車は落石で腹をこすり過酷なドライブだった。
登山路もまた人の歩いた形跡はまったくない。雑草に覆われて道が消えている。きょろきょろと目印の赤テープを探しその方向へ登っていく。
まるで「バリ山行」である。老人の単独行だったら怖くなってすぐに引き返しただろう。
そのうえ最初から急登がつづく。ふと振りかえると小林が下の方でぜいぜいいっている。山に関しては小生の先生で、まだ数年前に槍ヶ岳や剣岳にも登っていた健脚がこの草臥れようである。
ご多分に漏れず小林も糖尿病患者だがこの一年で体力が急激に衰えたという。
70歳を過ぎると誰もが急速に老いていくのである。老人ふたりの山遊びもそろそろ手仕舞の時期なのかもしれない。
下山して室賀温泉にはいった。露天風呂でふたりで過去に登った山を語りあった。センチメンタルに懐古した。
八ヶ岳の最高峰赤岳、妙高山、雨飾山、浅間山、甲武信岳、瑞牆山……、ずいぶんと登ったものだ。
この10数年、毎年3、4回の山行を共にした。いちばんの山仲間だった。
人生は思い出をつくるためにあるという。
老人の友情は先行きがないから郷愁に似てかなしい。
ふたりの山行もこれが最後になるかもしれないと思った。
小林がトンネルの運転が怖くてできなくなったからである。だから小田原から来るのに近道のトンネルを避けてわざわざ峠越えの道を来る。
実は小生もトンネルの運転ができない。明るい場所から急に暗い所へ入ると瞳孔が開かずに目の前が真っ暗になるのである。
カメラでいえば絞りを開くのに時間がかかる。その間、露出不足で何も見えないから恐い。思わずブレーキを踏んでしまう体たらくである。夜の運転などとっくにできなくなっている。
人の交わりに季節あり。長い交遊もこうして終焉を迎える。
その理由は肉体の劣化による移動の制限とはなんとも解しやすい。

テレビで兵庫県知事の問題を見ていたら朝日新聞の奥山俊宏が出てきて話していた。すっかりオジサンになっているのに驚いた。奥山は「公益通報者保護法」の専門家でいまは上智大学の教授である。
兵庫県の前知事は明らかな保護法違反であり、今後遺族から起こされる損害賠償の民事訴訟では副知事ともども間違いなく負ける。
あの知事のような東大出の内務官僚はむかしからよくいるタイプだから少しも驚かない。タイラントたろうとして逆にその「小者」ぶりだけが明らかになる。老人から見れば人生を勘違いで生きてきたかわいそうなバカである。

だらだらと書きつづけているこの「終活ブログ」は余命が2年足らずになったときに(もう少し長生きするかもしれないが)ふと思いついた。
身辺整理のひとつであり、老人の特異な悪趣味である「自分史」の真似事でもある。
そこで整理しておきたかったのは来歴のなかで世話になった人たちへの感謝の念であった。
マスコミの底辺労働者だった時代には何人もの人に世話になった。

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