アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第131回「殺陣グラフィティ」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

真田広之が米国のエミー賞を受賞したのをニュースで観ていて感無量であった。そもそも最初に真田広之を知ったのは今から46年も前、深作欣二監督が初めての本格時代劇に挑んだ『柳生一族の陰謀』(78年)だった。真田はまだ10代だったけど、幼少期から子役で活躍し、千葉真一のジャパンアクションクラブで鍛えられていた。その後、日大芸術学部時代も殺陣のサークルに所属し、『忍者武芸帳 百地三太夫』(80年)や『里見八犬伝』(83年)など、殺陣とアクションの妙技を存分に披露したのを覚えている。
今回は、真田の話はここまでで、日本映画における殺陣グラフィティの話だ。かつては時代劇の東映といわれていたが、60年代後半から70年代にかけてはヤクザ映画中心になった。深作欣二監督も実録ヤクザ映画中心で、『柳生~』の話を聞いた時、「今さら時代劇かよ?」なんて思ったけど、これがなかなか面白かった。
なんといっても往年の大御所・萬屋(中村)錦之介の怪演が圧巻である。殺陣も千葉真一、成田三樹夫らが抜群に冴えていたっけ。そんなわけで興味のなかった時代劇を名画座やビデオで追っかけるようになった。ただし黄金時代のチャンバラではなく、リアリズム時代劇のほうだ。そこで出会ったのが工藤栄一監督の集団抗争時代劇だ。79年頃に五反田東映シネマという名画座で『十三人の刺客』(63年)、『大殺陣』(64年)、『十一人の侍』(67年)の3本立て特集上映を観てぶったまげたんだよ。

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