アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第5回「武富士盗聴事件余話」

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新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

寒冷地の春はいっせいにやってくる。
本州でいちばん遅い桜が咲くと、畑のモモ、リンゴ、アンズなどがほぼ同時に開花する。コブシ、モクレン、レンギョウ、ユキヤナギ、ニセアカシアに街路樹のハナミズキもいっせいに咲く。足元にはカタクリ、菜の花、スミレ、タンポポ。里は一年でもっとも色どりの豊かな季節となる。
暖かな日には里山を歩いてフキノトウ、タラノメ、ウドノメ、コシアブラ、コゴミなど山菜採りに遊ぶ。
その天ぷらを酒肴にして一杯飲るのが春の酒席である。ひとり酒でも愉しい。
またある日は人もまばらな種畜牧場の満開の桜の下、寝ゴザに横臥して好きな小説本などを読む。春の陽光にうつらうつらする。
都会の人が知らない鄙のゆたかさがある。
貧困老人にも許された春の至福である。

余生を壁のカレンダーのように意識しはじめたのは1年ほど前のことだった。
70歳を過ぎて人工透析をはじめた患者の5年後の生存率は約5割である。統計的には5年以内に半数が死ぬ。
老人にはなかなかリアルな天の采配である。
はやいもので小生の透析治療も3年目に入った。つまり悠長な時間は残されていないわけである。
貧乏人の「終活」とは早い話、まず身辺整理である。暮らしの「断捨離」である。
生活の澱のような不用品をとにかく捨てる。身辺をきれいにする。
死んだときにはミニマリストのように遺体のほかには何もなかった、というのが独居老人の理想である。
福祉課の担当ケースワーカーに「清々しい孤独死だった」と思わせたい。
ひとの人生の理想はむかしから「清く、貧しく、美しく」である。
せめて最期ぐらいはそうありたい。
(生き残る方の5割に入ったとしても透析患者の平均寿命はその他の人の1割減というから、どちらにしても1、2年しか残っていない)

だからこの与太記事でそういうことを記しておきたい。
ひそかに「終活ブログ」と心している由縁である。
毎回書くが、それでなくとも仮性認知(まだらボケ)が亢進している。肉体の劣化も進行している。死ぬまえにアタマがパンクしたり、不慮の事故なんかでぽっくりいくかもしれないからおちおちできない。

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