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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第98回「リーゼントヘアの全盛期」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 こないだテレビで昭和の懐かし映像のバラエティを観ていたら、映画『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年)のワンシーンが登場。これで大ブレイクした中村トオルのツッパリ高校生ぶりが懐かしかった(共演は清水宏次朗)。最近はツッパリなんて言葉も死語に近いけど、そういえば、ギンギンのリーゼントヘアでガン飛ばし、ペッタンコかばん、なんて高校生は見かけなくなったね。
このリーゼントヘア。70年代から80年代にかけては、ツッパリ高校生や暴走族はもとより音楽シーンで、キャロル、ダウンタウンブギウギバンド、横浜銀蝿、アナーキー、シャネルズ、さらには原宿~代々木公園界隈の路上で踊りまくるロックンロール族まで、頻繁に登場したもんだよ。
そもそもこのリーゼントの原型は、ポマードでオールバックにして前髪をふくらませて、ひさしをつくるポンパドールというヘアスタイルで、元祖はフランスのルイ15世の愛人だったというポンパドール婦人の髪型だったのだ。日本では1930年代にもリーゼントスタイルの若者が登場した。
 戦後はエルヴィス・プレスリーや、ロカビリー歌手が大体このリーゼントで、これがビートルズになるとマッシュルーム・カット、さらにロック系・フォーク系の多く(ビートルズも)がヒッピー風の長髪になってゆく。そんなわけでリーゼントは1950年代ファッションの復活と、不良・ヤンキー系のお決まりのファッションという流れがあったというわけだよ。

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