アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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旧住銀のまやかしの不良債権処理(実例=旧住宅信販のケースを見る)

●広告出稿で大手マスコミが書けない三井住友銀行の問題点

以下、本紙・山岡がメールマガジン『東京アウトローズ』編集長時代に書いた記事【志村化工の株価操作絡みで桑原氏逮捕。改めて注目される住友銀行との深い闇】(02年3月12日)を、ここに再掲載する(ただし、一部読みやすいように加筆、訂正あり)。
本紙はすでに3度、三井住友銀行・西川善文頭取の自宅購入に関しての疑惑の詳細を述べて来た。
その疑惑が法的に問題かどうかはともかく(時効の関係もある)、いずれにしろ、脇が甘い人物であることは確か。
ところが、大手マスコミにおいては、西川頭取自身、旧平和相互銀行、旧イトマン事件には直に関わっていなかったことから、その旧住銀の負の遺産を精力的に処理して来た“英雄”かのような取り上げ方をして来た傾向があるように思う。
しかし、本当にそうであろうか。
また、大手マスコミの問題といえば、今回の自宅の疑惑について、“広告絡み”を理由に、打診したところは取り上げてくれなかった事実を強調しておきたい。
なお、参考までに、本紙が入手した、三井住友銀行の02年9月末現在の「主要会社与信残高・出資関係図」を冒頭に掲載しておく。

●旧住銀を“守った”闇のフィクサー・佐藤茂人脈

桑原芳樹氏(住宅信販社長。ただし、同社はすでに清算)と聞いても、一般読者にはほとんどわからないだろうが、事件記者の間では、闇社会と住友銀行との腐れ縁の“調整役”として、有名なミニファクサー的存在だった。 彼がそうした力も持つようになったのは、「川崎定徳」という会社の社長だった故・佐藤茂氏の存在抜きには語れない。
川崎定徳は、敗戦後GHQによって解体された旧川崎財閥の資産管理会社。その社長に財閥家一族出身でもないものの、佐藤茂氏は番頭から上り詰めた。そして、その由緒正しい会社社長という信用から、住友銀行が旧平和相互銀行を吸収合併する際、これは旧平相銀側に激しい内紛があり、逮捕者を出すほど賛成・反対で揉めに揉めたのだが、結局、佐藤氏の仲介が効を奏して吸収合併される。
当時、関西を地盤としていた住銀は、この結果、関東が地盤だった旧平相銀の支店を一挙に取得。後の預金高日本一の大躍進に結びつくわけで、いわば佐藤氏は住銀にとっての大恩人となったわけだ。
そして、佐藤氏は住銀と親しかった故・竹下登元首相や土田国保元警視総監など、政・官界にも太い人脈を築いて行く。
その一方で、川崎定徳は関東の旧財閥という経緯から、同地の闇社会との付き合いもあり、それを改めて実感させたのが、稲川会会長だった故・石井進氏が東急電鉄の株買い占めを行なったことが発覚した際、その調整役に佐藤氏が乗り出した時だった。
また、佐藤氏はこうした裏人脈を背景に、住銀を食い荒らしていた山口組に対しても、何かと住銀の側に立って動いたと見られる。 そして、佐藤氏の番頭格として、その間、何かと動いていたのが他ならぬ桑原氏だった。

●住宅信販への見返り=高級会員制スポーツクラブNの場合
旧住銀ダミー会社「エフエム産業」に不良債権の“飛ばし”では?

では、これら「調整」に対する見返りとは何か。それは、佐藤氏側に対する巨額の融資。その額、実にバブル時代のピーク時で4000億円との指摘もある。
しかし、ご多分に漏れずバブル崩壊で、桑原氏の経営する住宅信販を始めとするグループ会社も行き詰まった。
だが、以上述べて来たような特別な関係から、その処理は通常の方法は取られなかったはずである。
そこで、前号の編集後記でお伝えしたように(志村化工の株価操作容疑)、桑原氏の逮捕を機に、謄本を取り直してその行方を追ってみた。
前置きが長くなったが、やはり予想通り、その処理方法はとても普通ではなかった。
一言でいえば、巨額の負債があったにも関わらず、弁済ないしは任意売却というかたち、つまり、桑原氏側に負担をかけないように大甘処理されていたのだ。
例えば、バブル時代、桑原氏は東京は渋谷駅のすぐ近くに「N」という高級会員制スポーツクラブをオープンさせていた(現在は豪華レストランとして営業中)。

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