アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第33回「岡田祐介と赤頭巾ちゃん」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。有名人死去のニュースが続くが、あの岡田裕介が71歳で亡くなった記事はいろいろと考えることが多かった。

岡田裕介は東映の会長で映画プロデュ―サーとして活躍した。親父は岡田茂。任侠ヤクザから実録路線をヒットさせ、客が入れば右も左も反権力もエログロも何でもOKの大御所であった。
岡田裕介という名を最初に知ったのは1970年、50年も前のことだ。この年、裕介は新人俳優として『赤頭巾ちゃん気をつけて』の主役に抜擢された。原作は前年に芥川賞をとった庄司薫で、高校生の間でもファンが多かった。
裕介扮する主人公の薫君は日比谷高校の3年生だが、目指していた東大が紛争で入試が中止になって欝々とした日々。ガールフレンドの前でも態度がシャキっとせず、冷たくされたりと、優柔不断で冴えない情けないキャラクターなのだ。
岡田裕介はこの主人公にぴったりの雰囲気で、かっこ悪さを自然に演じていた。
しかし時代は1970年、ハイジャック、70年安保闘争、三島由紀夫自決、あしたのジョー、藤圭子、銭ゲバとアシュラ、アングラ演劇、アートシアター、東映ヤクザ映画、日活ニューアクションなどなど、世の中もヒーローもアンチヒーローも、ともかくとんがって、濃厚、バイオレンス炸裂という風潮に、岡田裕介はまったく正反対だった。
その裕介が親父のあとを継いで東映のリーダーになるというのも、なんとも映画的だよ。
『赤頭巾ちゃん~』を製作したのは東宝だが、当時の東宝の青春スターといったらあの加山雄三。おなじみ若大将だが、この頃は『狙撃』とか『弾痕』といった殺し屋の役もこなし、続く若手のホープ黒沢年男も熱く濃いキャラクターで青春熱血ものからアウトローまで幅広く活躍していた。
そこへいくと、岡田裕介は何とも軟弱なタイプ。しかし不思議なことに、東宝青春軟弱路線みたいなのにうまくのってゆくわけだよ。

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