アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

内部・外部告発、情報求む!

(弁護士などのプロが調査。ただし、公益性あるケースに限る)

<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第31回「歌謡ショーの警備というバイト」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 作曲家・筒美京平が亡くなって、昭和歌謡のヒット曲やアイドルの時代がまたクローズアップされているが、それで思い出したことがある。もう今から48年も前の1972年の春だった。
高校を卒業して浪人生活を始めた頃、アルバイトを探していたら、「コンサートやイベントなどの警備 〇〇芸能スポーツ」というのがあった。友達と連れ立って面接に行ったところ、仕事はたくさんあるのでその場で登録。まあ警備会社の一種なのだろうが、学生バイトで回していたようだ。
数カ月の間、10数か所の警備をやったんだが、多かったのは公会堂や区民会館などで行われる歌謡コンサートだ。なかには来日した海外のミュージシャンもあったね。ピンクフロイドとかビージーズとか、千駄ヶ谷の体育館で何千人ものコンサートでやったときは、バイトだけで何十人もが会場警備を担当して、楽屋のそばで待機して、押しかけて来るファンに「ここから先は行ってはいけませんよ」なんて追い返すのだ。それを高校出たばっかりのバイトがやってるんだから、アバウトな時代だったわけさ。そんななかで強烈な記憶に残っているのが、江戸川区の小岩公会堂で行われた歌謡ショーの警備だった。
 その日の出演者は、当時のアイドル人気ナンバーワンの天地真理、まだデビューして間もない野口五郎、青春スターの輝ける星!森田健作、なんてのが並ぶんだから、ファンもエキサイトする。警備責任者からは、「楽屋にファンが乱入したらえらいことだぞ。絶対に止めろ。それでも聞かなかったら排除して構わん。それから退出するときに無事に車に乗せるんだ」なんて恐ろしいことを訓示する。

この続きを読むには有料購読の登録が必要です。

関連キーワード
検索

カテゴリ一覧