アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<新連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚の「右翼界交友録」第1回「東シナ海波高し。尖閣諸島の記憶」

  早いもので、写真週刊誌『フライデー』記者を最後にマスコミの世界から足を洗い、信州に居を移して12年になる。菅平、八千穂高原での民宿営業も失敗に終わり、気がつけば素寒貧の還暦を過ぎた独居老人だ。
2年前に故あって「適応障害による抑鬱症」を発症し、農協病院の精神科にかかる身の上でもある。抗欝剤、安定剤、眠剤に淫している。アルコール依存も進行している。
今年春からは、憲法25条の生存権に依拠してこの世に身を晒している。落ち込んで家賃4万円の安アパートに引き籠もるか、ただレイジーな時刻の流れに身をまかせて、ひねもす薄らぼんやりと過ごす日々がつづく。
この間、自殺未遂2回。月9万6千円の暮らしは少しく苦しい。煙草銭をとれば一日300円の食費で生きている。殆ど亡命者の心境、難民のような貧困である。
そこで後輩の山岡俊介にカンパニアを依頼した。結果、山岡の厚情でこんな駄文、与太話を書くことになった。
 恥ずかしながらお断りしておくと、数週間前からやはり後輩の松永他加志の「オフィスマツナガのブログ」にも下らないこと書き始めた。
記事は同様である。共通の読者には「社会復帰のリハビリ、貧困対策」ということで無視していただき、どうかご寛恕願いたい。
かって30年ほどマスコミの底辺に身をおき週刊誌、テレビの仕事をしていた。山岡からは「昔の企業、政治家恐喝などワルさの数々、塀の上を歩いた日々の内幕暴露話」を書けと依頼された。たしかにハッキリ言って「羽織ゴロ」のようなヤサぐれ記者だった。今から振り返ると汗顔の至りである。ただ病んだ老人には萎縮する脳、はっきりしない思惟、霞む記憶しか残っていない。もう暫くすると惚けという名で呼ばれ「老人力がつきましたな」とホメられもする。いや、もう殆ど到達している。思えば悲惨な余生だ。山岡には申し訳ないが、期待には応えられそうはない。最初に謝っておく。

 このところ現実世界では、尖閣諸島(上写真。横は地図)の領土問題がまた喧しいと聞いた。夢現のあわいに生きる鬱け老人には時事問題など生存に何の関係もないことだが、過去からの記憶に呼び覚まされた断片があるので、徒然に与太話を書く。

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