アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第14回「開催から50周年ーー大阪万国博の思い出」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 コロナ騒ぎで話題にもならなかったが、実は今年3月であの「大阪万国博」開催から50周年になるのだ。
1970年の5月、高校(2年)の修学旅行で、京都、奈良の定番コースに加えて万博で1日自由行動というのがあったのだ。どんな展示があったのか、ほとんど覚えていないが、一番人気は確かアメリカ館の「月の石」だったと思う(右下写真。前の年1969年にアポロが月面着陸した)。これも動く歩道みたいなとこから月の石だかカケラみたいなものを遠くから見るだけで、触ることもできないし、評判は悪かったね。何たってあの頃は、10年もすれば月までの旅行できるとか、ゆくゆくは月に移住して生活もできるとか、次の火星では火星人と相互交流をするだの言われていたけど未だにダメじゃん。
そんなことより、高校生のお目当ては、各国パビリオンのコンパニオン。「ベトナム館のコンパニオンは最高に可愛い」なんて聞いたら飛んでいって写真を撮ったりしたもんだよ。
 さて、この万博では飲食の昭和史を語る上で忘れられないものが登場した。一つはアメリカ館のフードコーナーだったかに出店した「ケンタッキーフライドチキン」である。これがファストフードチェーンの先駆けだと言われている。ちなみにハンバーガーも売られていたが、「マクドナルド」のオープンは翌年の1971年だ(銀座三越の1階に店があり、ホコ天で歩きながら食べるのがナウかったのだ)。このフライドチキンは高校生にも大人気だった。今ならどうってことないんだが、当時は鶏のから揚げは結構なごちそうだったのだ。それを立ち食いで、さらには歩きながら食べるなんて先端の若者(変な言い方)がやることだったのよ。その際、飲み物はコーラだ。ことちら中学・高校時代で一番飲んだ飲み物といったらコーラだけど、さすがに30歳過ぎてからは、ほとんど飲まなくなったよ。

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