アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第8回)「『ウルトラQ』も、甦れ!」

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 今から45年も前(1966年)の1月、小学6年生の小生は、日曜日の夜が来るのを待ち焦がれていた。それは、東宝怪獣映画や戦争映画などでおなじみの特殊撮影の巨匠・円谷英二監督が率いる円谷プロ製作の連続SFドラマ『ウルトラQ』がスタートしたからだ。この頃の日曜日の夜といったら、夕方6時台から『てなもんや三度笠』、『シャボン玉ホリデー』、『隠密剣士』、『ポパイ』(その後は『オバケのQ太郎』)と、人気番組目白押しで、午後7時の『隠密剣士』終了後に満を持して登場したのが『ウルトラQ』なのであった。
 今年の正月も、銀座シネパトスで1日だけの『ウルトラQ』上映と往年の主演者らがトークするイベントがあって、多くの中高年が集まったというが、少年時代にこの番組にはまり、一生ついて回っている中高年は数多い(プラス『恐怖のミイラ』も上げたい)。
なぜ『ウルトラQ』が、そこまで語り草になるのか。30分1話完結の怪獣中心の子どもだましのお話、映画に比べれば格段に安い制作費からくる貧相さ、これといったスターも登場しない。当時の大人たちは、その後の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に比べて、暗くて地味な印象くらいに思っていたのだろう。しかし、『ウルトラQ』は一流であった。

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