アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第17回)「1971年とジェーンフォンダ」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 映画『マイ・バック・ページ』のことを書かなくちゃと思ってたが、まだ見てない、感想は次回で。今回は、そのいろんなことがあった1971年について、思い出したのは来日した女優ジェーン・フォンダと握手したってことだ。ジェーン・フォンダといったら、その2年ほど前までは、セクシー女優というか、典型的なアメリカンお色気ねえちゃん。ともかく大スター。周りの映画好き高校生の間でも『バーバレラ』『獲物の分け前』なんて主演作が評判だった。そんな彼女が、ベトナム反戦運動真っ盛りの70年頃、あれよあれよという間にバリバリの反戦運動の闘士となってしまう。さすがに大女優だけあって闘士になっても、映画の主演が相次ぎ、70年の『ひとりぼっちの青春』なんて、風貌がすっかり変わっていた。野次馬ミーハーのこちとらとしては、どっちも好きだけど。そんな1971年の暮れ、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の招きで、ジェーン・フォンダやドナルド・サザーランドらが中心になってつくった兵士のための反戦ミュージカル劇団が来日したのだ。
 東京公演の会場は千駄ヶ谷の東京体育館、前座は頭脳警察、本編の反戦ミュージカルは字幕がないので、何だかよく分からなかったが、そんなことより、あこがれの大女優が目の前にいるだけで夢のようだった。終了後、何人かの友達と一緒に楽屋裏の出口で待ち構え、出てきたジェーン・フォンダに握手を求めたのだった(まったくミーハーだねえ)。そばで見たら、ノーメイクで普通の気さくな人ってイイ感じであった。この人が『バーバレラ』の主役だったとはねえ、なんて感無量というのか、拍子抜けしたような。激動の年、1971年にはこんなドラマもあったのさ。

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