アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第19回)「映画『マイ・バック・ページ』と失意の1979年」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 前回の続きで『マイ・バック・ページ』のお話であります。映画のラスト近く、時代は1979年、すでに「事件」も過去のことである。川本三郎自身である映画の中の「沢田」も、映画評論家として『キネマ旬報』(これは映画でも実際の誌名が出てくる)に書いたり、細々であるが一目置かれる存在になっていた。試写会のシーン、映画は『十九歳の地図』(原作は中上健次、監督は柳町光男)。振り返れば、1971年に沢田とあのモデルが一緒に観た映画は『ファイブ・イージー・ピーセス』であった。共通するのは、ダメ男が主人公の沈うつな映画であることだ。それは、沢田自身の心情と70年代の失意の足跡に重なるし、それぞれの時代の気分とやらにもぴったりとフィットする。沢田は試写の上映のあと、編集者たちの誘いも断り、一人で居酒屋に行くのだが、わしは思わずうなった。それは、初めて川本三郎の本(『シネマ裏通り』)を買ったのも、実物の川本三郎を見たのもこの1979年だったことを思い出したから。
 あれは5月頃だったと思う。五反田東映シネマという今は亡き名画座で、東映の工藤栄一監督が久々に新作を撮るというので、旧作の上映とトークのイベントが行われた。旧作は、あの有名な『十三人の刺客』、『大殺陣』『十一人の侍』の3本、そして話題の新作が何と『その後の仁義なき戦い』。すでに、東映やくざ映画も衰退期に入り、70年代を席捲した『仁義なき戦い』をはじめとする実録路線も終わり、深作欣二監督もこの頃は時代劇や角川のSF大作を手がけていた。そんななかでの『その後の仁義なき戦い』は、主人公も根津甚八、宇崎竜童、松崎しげると、異色のキャラクターが並び、やくざなのにダメ男だらけなのだ。

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