筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
前回の『モスラ』に続いて、『モスラ対ゴジラ』と放射能のからみを取り上げる予定であったが、たまたまある上映会で故・原田芳雄が主演した『原子力戦争』(1978年、黒木和雄監督)を32年ぶりに観て、いろいろ考えることあったので、『モスラ?』は次回。
映画『原子力戦争』の原作は、あの田原総一朗。原発の闇を描いた小説仕立てのルポルタージュのような長編だが、ちょうどテレビディレクター(1969年頃は『ドキュメンタリー青春』という連続ドキュメント番組を東京12チャンネルで手がけていたのだ)から、もの書きに移行した頃だったか。映画は、原作を下敷きに、原発事故隠しをめぐる事件を、都会から原発のある町にやってきたやくざ者(原田芳雄)を主人公に、ポリティカル・サスペンス&ATGらしい不条理劇として展開する。さて、32年前にはピンとこなかったこと、それは舞台が福島第1原発だってことなのさ。
映画のなかで、原田芳雄が勝手に原発に入ろうとして、警備員に止められるシーンがある。やけに警備員のセリフや振る舞いが自然だな!と思ったら、実際にゲリラ撮影を断行して、ここだけドキュメンタリーになっているのだ(警備員が次第に怒り出して手でカメラをさえぎったりして)。さらに今になってズシンと迫ってくるのは、地元の漁業組合長が、いかに原発のおかげで町が潤ったのか。原発事故の隠蔽を追求しようとした新聞記者(佐藤慶好演!)が、上司の支局長から書くなと迫られ、挫折するところ(そんな事例は実際に無数にあったのだろう)。事故の隠蔽に加担した御用学者(岡田英次好演!)が佐藤慶に説く原発必要論。こういう御用学者が、実際の3・11以降のメディアで似たようなことをほざきまくったわけだよ。