大川啓一氏が死去した。
8月12日に自宅で吐血し、救急車で都立墨東病院に運ばれそのまま帰らぬ人になった模様。
急死といってよく、関係者は心筋梗塞を疑ったが、息子さんの話だと、死因は大きながん組織の破裂によるものとのこと。
享年76歳。
「奈良新聞」を経て、もはや死語になっているが、まだ玉石混淆の情報誌が存在、新聞や週刊誌も活気があった時代から事件記者を続け、死ぬ間際まで現役だったことを思うと、“最後の事件記者”といっていい方だった。
企業、政界から警察関係、芸能界、右翼、暴力団関係と交流は広かったようだ。
8月19日(土)午後6時から「四ツ木斎場」(東京都葛飾区)で告別式。