アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第30回)「2011年の昭和カルチャーニュースといったら」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 12月になると、恒例の何とかベスト10とか、流行語大賞とか、このミス大賞とか、いろいろ出てくるんだが、この連載らしく2011年「昭和カルチャー」がらみで、一番印象に残ったこと・ものを一つ挙げよと言われたら、もう迷うことなく情報誌「ぴあ」の休刊(廃刊)だ。わしは19歳の時(1972年)、書店で「ぴあ」創刊号を買ったのだ(最終号にこの復刻版が附録になった)。のちの「ぴあ」からすれば、何とも薄っぺらい、いかにも学生上がりのミニコミサークルが作ったような安っぽい雑誌だったが、ありそうでなかった新鮮な衝撃だった。しかし、面白いのは「ぴあ」休刊で、惜しいとか淋しいと言われたながら、その最盛期(80?90年代か?)は、「こんな情報カタログでみんなアホになる」「批評もコラムのないむなしさ」とか、散々な評判で、いい大人で「ぴあ」なんて買うのは、恥ずかしい風潮もあったのだ。
 もっとも、わしだって70年代後半から80年代一杯は、「ぴあ」はほとんど買っていない。観たい映画のスケジュールは、『シティロード』でチェックしていた。こちらのほうが、映画の採点表(松田政男と中野翠の星が気になっていたっけ)やコラム、インタビューなど読ませる頁が豊富で、映画の紹介文も『ぴあ』よりも、カウンターカルチャーの匂いがしてたんだ。その後『シティロード』は廃刊。一方わしがデビューした『アングル』(主婦と生活社 77年?85年)にも、映画スケジュールは充実していたが、結局、『ぴあ』が生き残って一人勝ちのような感じになった。

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