特にヤメ検の田中森一氏の本(写真)があれほど売れると共に、評価されていることに、本紙は以前から違和感を持っていた。所詮は高額報酬に目が眩んだ暴力団の用心棒ではないかと。すると、まったく同感の記事を、元外務官僚の天木直人氏のブログに見つけたので、以下、紹介しておく。
いつかは書いておきたいと思っていた事がある。それは出版界における昨今の検察批判の風潮についてである。そして検察批判の象徴として「国策捜査」という言葉がもてはやされている。私はそこに出版業界の売れれば何でも良いという浅薄な商業主義を感じ取る。
「国策捜査」とは何か。それは、国家組織を守り、時の権力に逆らう者を取り締まる、「政治的予見をともなった捜査」というほどの意味である。
この言葉を流行らせたのは鈴木宗男事件に絡んで起訴された外務省職員の佐藤優である。佐藤はその著作、「国家の罠」(新潮社)の中で、自らを取り調べた西村尚芳検事が口にした「君は勝てっこない。なぜならばこれは『国策捜査』なのだから」という内輪の私語を世に暴露して、自分が捕まったのは「時代のけじめ」をつける為の国策捜査だったと言い立てた。
起訴や拘留という非日常的な状況に縁遠い善良な一般市民は、その言葉に恐れ、驚き、内部情報に聞き耳を立てる。検察の捜査は恐ろしいものであり、すべて国策捜査であるという風潮ができあがる。検察の横暴に怒る国民の心情を見事に射止めた所業である。
確かに検察の横暴は許せない。権力に迎合した検察の官僚的姿勢は目に余るものがある。それを国策捜査と呼ぶかどうかは別にしても、検事は、他のすべての官僚と同様に、権力に顔を向け、弱者国民の利益を守ろうとする姿勢に欠ける事はあらゆる情報が教えてくれている。
しかし、検察を批判する時は、批判すべき人間が、王道から批判しなければならない。さもなければ検察を利する事になるのだ。係争中とはいえ、訴追されている当事者が、あたかも自らが「国策捜査」の犠牲者であると言わんばかりに検察を批判する。それを出版業者が持ち上げてどんどん書かせる。そんな風潮に私は不健全さを感じるのである。