筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
この7月30日は、『モスラ』生誕50周年(封切が、1961年7月30日だった)だというので、モスラと原子力の関係でも書こうかなと思った矢先、原田芳雄の訃報が飛びこんできた! テーマ差し替え。モスラは次回だ。原田芳雄については、報道でもコメントでも追悼文でも、出るだろうおなじみの作品の話は思い切って省いて、ここでは多分、ほとんど触れられない話を。
ちょうど1カ月前、その昔(1966年頃)テレビで放映して、映画にもなった社会派ドラマ『若者たち』の6話分ほど、レンタルDVDで見ることができた。放映時は中学1年、時々は見ていたが、もう45年ぶりだからね、何たって66年といったら、ビートルズ来日に、『ウルトラQ』(これまた今度、カラー映像にして甦るのだ!)の年だ。それで『若者たち』だが、そのなかに、意外な1本を発見したのだ。何と、まだ俳優座の駆け出し役者(映画の主演デビューは68年)時代の若き原田芳雄が、学生運動の闘士として登場(この回だけのゲスト)しているのだ。