アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<*新連載* 渡辺正次郎の芸能界を斬る!>第3回「 森進一『おふくろさん』を巡る、骨肉の争いの真相(2)」

 筆者・渡辺正次郎(作家・政治ジャーナリスト)。音楽専門誌の編集長の傍ら、藤圭子など多くの歌手を発掘。その後、政界に転身。二・二六事件の時に岡田啓介首相を救出、また、わが国の戦争終結に尽力した故・迫水久常参議院議員の秘書などを務める。現在は作家・政治ジャーナリストとして執筆の傍ら、政治家のブレーン、選挙参謀として活躍中。『この国の恥ずかしい人々』、『田中角栄の遺したもの』、『こんな政治家は辞職せよ!』(以上、日本文芸社)など著書多数。  作家・作詞家の川内康範氏(87)が森進一に激怒する原因に入る前に、「アクセスジャーナル」に寄稿するため、筆者が森進一の「森音楽事務所」(渋谷区千駄ヶ谷)に電話をした際のことを述べておきたい。  土曜日の午後2時のことだ。留守電から、女性事務員のこんな声が流れた。 「こちらは森音楽事務所です。営業時間は午前10時30分から午後6時30分までです。なお、土曜、日曜、祝祭日はお休みさせていただきます。お急ぎの方は、各(所属歌手ということか?)担当マネージャーの携帯に直接お電話してください」  まず、この内容に驚いた。  森音楽事務所に電話する相手が、すべて各担当マネージャーの携帯番号を知っているはずはないだろう。筆者がそう思うと同じに、もし川内氏が何か意見があって電話をしてこの留守電を聞いたら、「この事務所はなんだ、人を馬鹿にしているのか!」と思うに違いない。  さて、前回に続き、森進一に関する本論に入ろう。  森が泣き節ど演歌でスター歌手にのし上がった当時、ナベプロの渡辺晋は音楽事業者協会理事長(歌手プロダクションが加盟)でもあった。そのナベプロを森が独立しようとしたことで暴力団も絡む大変な騒動になった。このときも川内氏が中に入った。無事独立を果たした森は、自分がなれるはずもなかった社長兼務となった。マネージャーも事務員も使用人、誰にも頭を下げる必要はない。  それが数年続くと、独立大騒動を忘れ増長した森は、今度はナベプロと張り合う勢力だったホリプロが総力を挙げて売り出し、『先生』で大ヒットを飛ばしていた森昌子(右写真)を絡め取り、突然、結婚宣言させ、しかも引退させてしまった。  これにはホリプロの堀社長は怒った、怒った。また、音楽事業者協会挙げての騒動となった。が、森昌子にとって初めての男が森であったために、昌子の結婚・引退へ意思は固く、ホリプロは涙を飲んで(この騒動の結末に何があったか、筆者は知らない)、門出を祝福せざるを得なかった。  独立、結婚と、芸能界引退の可能性まであった大きな騒動を多くの人の筆舌に尽くせない努力で乗り切った森は、騒動の間もNHK紅白に連続出演しており、今度こそ怖い者なしになっって行くーー今回の命取りにもなりかねない『おふくろさん』騒動を生む森の性格を醸造していたことに、彼自身は気付いていなかったようだ。  それからの森は、数々のヒット実績で売り上げに貢献したことで所属のビクターレコードでも大きな存在となり、発言力も持つようになっていった。デビューから3?4年は「森」、「森くん」と呼んだビクター幹部も、「森さん」と敬称を付けざるを得ない存在になったのである。これが、その後の森にヒット曲が出なくなる(売れなくなる)ことになっていく。  森が泣き節ど演歌でスター街道を驀進している一方で、森のど演歌とは異質なニューミュージック路線歌手も、レコード界の歴史を塗り替える売り上げ枚数(森ら演歌歌手の売り上げの数倍?数十倍)のヒットを連発し、紅白にも森と並んで出場していた。順不同だが吉田拓郎、井上陽水、新谷のり子、由紀さおり等々だ。  当時、ニューミュージック=現代風、格好いいイメージがあり、演歌=垢抜けない、ダサイイメージが自然と生まれていた。森はこれに自分の過去を照らし合わせ、演歌では「カッコ良くない。俺にもニューミュージックが歌える、ヒットさせられる!」という自信から、ビクターに彼らと同じ路線をと申し入れ、森のイメージとまったく違う『襟裳岬』を発売させることになった。  また、筆者自身のことに触れて恐縮だが、当時、筆者は少年の頃からの夢であった総理大臣を目指して政治の世界に転進(五木ひろしのデビューヒット曲『横浜たそがれ』を発掘後のこと。後日このいきさつも書こう)、大物国会議員の秘書兼選挙参謀となっていた。ある日、テレビで森が歌う『襟裳岬』を聞いた筆者は、余計なことだったがビクター幹部に、「森の『襟裳岬』は間違いなく大ヒットする。するが、この次の作品は元の泣き節ど演歌に戻せ。戻さないと売れなくなる」とアドバイスした。  ところが、『襟裳岬』が大ヒットしたことで自信を持った森は次の作品も、その次の作品もニューミュージック路線を続け、コンサートでもデビュー当時の泣き節ど演歌を歌わなくなり、筆者の予言通り、ヒット曲が出なくなっていく。その極め付けが『冬のリヴィエラ』である。  ある日、筆者が国会から自宅に帰る途中、原宿に移転していたビクターに遊びに立ち寄った時のことだ。宣伝部幹部がいきなり、 「正次郎先生、森に言ってくださいよ。『冬のリヴィエラ』は1万9千枚も行ってないんですよ」と嘆いた。 「当たり前じゃないか。森が『冬のリヴィエラ』? だから『襟裳岬』の後、デビュー当時の泣き節ど演歌に戻せって言ったじゃないか。森の顔がリヴィエラか?」 と、毒づいた。  もっとも、この会話こそ、森がビクター幹部の意見を無視する大物になっていた証明だろう。  森のファン層は元々肉体労働や水商売の人が大半(都はるみ、藤圭子=宇多田ヒカルの母親、五木ひろしも同じ)。彼らは自分の人生を森の泣き節に重ね合わせ涙していたのだろう。そのファンを森は、『襟裳岬』『冬のリヴィエラ』で裏切ったのだ。売れなくなって当然だろう。  しかも、2000年の紅白歌合戦では長渕剛からプレゼントされた『君は荒野の○○○となれ』で出場。これは長渕が歌うべき作品で森とはあまりにイメージが違い、レコード売り上げも惨敗している。が、これでも森は路線を戻そうとせず、コンサートに足を運ぶファンは激減、ついに妻の森昌子を引っ張り出しジョイントコンサートをせざるを得なくなった。  それでも森はいまもレコード会社幹部の意見も他人の意見も聞かず、自分をスター歌手にした垢抜けないど演歌を避ける考えを変えない(厳しい表現だが、あの顔が渋谷の松涛に住む顔か?)。このごう慢さ、意固地さが今回、川内康範氏を激怒させる原因となったのは間違いないだろう。  くだらない森進一編は今回で終えようと思う。  次は森進一と夜行列車で事があった、やはり昔の大歌手・都はるみが売れなくなった原因を書くか? 筆者が汚い亀戸のキャバレーでスカウトした藤圭子(安倍純子)とその家族の目を剥くことにするか? 五木ひろし(筆者がデビュー曲を決めた)を書こうか? 大歌手・ちあきなおみ、男で失敗したカルメン・マキ(伊藤マキ。母親は……)、千昌夫(阿部健太郎)、それとも大作曲家・遠藤実にするか迷っている。どれもが腹を抱え、涙が止まらないほど笑えるから。…

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