アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<*新連載* 渡辺正次郎の芸能界を斬る!>第2回「 森進一『おふくろさん』を巡る、骨肉の争いの真相」

 筆者・渡辺正次郎(作家・政治ジャーナリスト)。音楽専門誌の編集長の傍ら、藤圭子など多くの歌手を発掘。その後、政界に転身。二・二六事件の時に岡田啓介首相を救出、また、わが国の戦争終結に尽力した故・迫水久常参議院議員の秘書などを務める。現在は作家・政治ジャーナリストとして執筆の傍ら、政治家のブレーン、選挙参謀として活躍中。『この国の恥ずかしい人々』、『田中角栄の遺したもの』、『こんな政治家は辞職せよ!』(以上、日本文芸社)など著書多数。  歌手の森進一(59)に、森の恩師とも言える作家でヒットメーカーの作詞家・川内康範氏(87)が、自分が森に書き下ろした森の看板曲『おふくろさん』を「今後、絶対歌わせない!」と激怒会見。  これに対し、中・高年女性の間で、「若い者をあんなにいじめることはないのに」と、森に同情する声がある。が、ちょっと待て。  義理人情、筋を通す川内氏がなぜそこまで激怒したか、森の過去・現在までの生きざまを知らずに、一方的に同情するな!  筆者は森デビュー当時、レコードヒットチャート誌編集長で、彼のデビューのいきさつ、森と所属プロとの不穏な関係等をよく知っている一人として、川内康範氏を全面的に支持する。  泣き節ど演歌の森が、当時の音楽業界を支配していた渡辺プロに所属している時、強い抵抗があった。それはナベプロの渡邊晋社長がジャズバンドのバンドマスター出身であり、クレージーキャッツとグループサウンズ、ポップス歌手中心で、ど演歌、しかも泣き節掠れ声の森に嫌悪感さえ抱いたからだった。  結局、ナベプロの重役でもあったチャーリー石黒(「チャーリー石黒と東京パンチョス」リーダー)が個人的な形で引き受けた。  当時、筆者は20代で、レコードヒットチャート誌初代編集長として、発売前にレコードヒット予想を一〇〇%的中させる異能さが業界一の評価で、レコード会社、プロダクション、歌手が日参。歌手のオーデーション審査員や会社のレコーディング立会いに引っ張り凧。自分で言うのも何だが、肩で風を切る勢いでごう慢そのものだったようだ。もちろん、新宿のホステス300人を招待して開かれた森進一のデビュー曲『女のためいき』発表会にも主賓として招かれ、翌週ヒットチャート誌で大きなスペースを割き、「大ヒット確実、レコード店は大量仕入れを」と書いた。  予想どおり、『女のためいき』はあっというまにベストテン1位に躍り出た。続く第2弾『命かれても』もデビュー曲を上回る大ヒットでベストテン1位を数週間もキープした。順不同だがその後、『花と蝶』(川内康範作詞。この作品でNHK紅白初出演。それまでヒットは連続したがナベプロはスター歌手が多く、森を強く推薦せず、紅白に出てなかった)、『港町ブルース』、『襟裳岬』等も、長くヒットチャート誌の1位の座を記録している。  もちろん、この当時、民放テレビ局の歌謡ベストテン番組で森を見ない日はなく、それこそ寝ても醒めても森で、文句ないトップ歌手となり、マネージメントを渋ったナベプロでもグループサウンズ、タイガースのジュリーこと沢田研二と並ぶトップの地位を得た。  森が売れた要因は作詞・作曲の良さは言うまでもないが、母と弟の3人の生活保護生活と、数十もの仕事を替えた苦労が滲み出るしわがれ声がマッチしたのも大きいだろう。が、その森を誰もが認める大歌手にのし上げる決定打となり、彼の長い歌手生活の看板曲となる作品が登場するのは数年後で、それが現在、芸能界で大騒動となっている川内康範作詞、猪俣公章作曲(猪俣は森のデビュー曲も作曲)の『おふくろさん』である。  ところが、森がスター街道を驀進し始めた最中、衝撃的事件が起きた。自分の身を削り森と弟を育てた母親が、なぜか自ら命を断ったのだ。  当時、ヒットメーカーとして芸能界に君臨していた川内氏は、森が数十もの仕事を替え、漸くスターの座を掴んだのに、最愛の母が自ら命を絶った悲劇に、「母の愛、母の恩を忘れるな」と、太平洋戦争で日本中が貧乏のどん底の中で、自分の一食、二食抜いても産んだ川内氏に食べさせ、育んでくれた実母の苦労とも重ね合わせ、世の辛酸を舐めた森なら「母への愛を唄える」と期待し、泣きながら書き上げたのだろう。  その川内氏が森に「自分の書いたおふくろさんは絶対歌わせない!」と突然、激怒記者会見をしたことから大騒ぎとなった。  筆者は川内氏とは何度かお会いし、また、数々の作品を眼にし、この人は心底人間が好き、だから「人間を悪くする正義なき社会、悪、国家は許せない。それを俺が正す」という宗教家に近い精神と哲学を感じた。  この精神が氏の事務所『愛企画』のネーミングに込められ、その集大成が子供から一般国民にまで知られるテレビの大ヒット作『月光仮面』(上掲左写真)であり、日本人の持つ思いやり精神、親子兄弟姉妹の情愛を描くテレ朝、後、TBS放映の『まんが日本昔ばなし』(同右写真)を産んだのだろう。  話は少し反れるが、筆者が漸くこれを理解できたのは弘法大師空海を出版社から依頼され、『空海に教わる親子学』(イーストプレス刊)を書き上げてからだ。偉大な宗教家、真言密教の開祖・空海を育てたのは母だ。母の愛だと気づくまで約3ヶ月間、筆者はのた打ち回る日々だった。  話を森に戻そう。  子を想う母、その母への愛を見事に書き上げ、森自身「自分自身の歌」と言うように、彼の歌手生活の看板曲の『おふくろさん』の前奏に入る前の部分に、川内氏の許可も得ず台詞を挿入していたことが、今回の大騒動を起こした。  恐らく舞台監督は、前奏の前に観客の感情移入を狙い、本編で森を思い切り泣かせ、観客も泣かそう、それが次のステージに繋がる(利益)と計算したものだろう(仕事欲しさにスターに媚びる監督が多いのも事実)。が、これを演出上とはいえ作家の許可なしにやってしまえば、作家が作品に込めた魂、精神を踏みつけるのと同じことだ。  この意見が出た時、森はなぜ川内氏に電話一本かけなかったのか。いや、なぜ出向いて許可を得なかったのか。  以降、川内氏が激怒会見し、彼の本宅の青森県八戸市にお詫びに出向いた(行き違えで会えず)森が置いた手土産を宅急便で送り返すまで怒らせ、JASRAC(音楽著作権協会)がこれからの森のステージで『おふくろさん』を歌うかどうかチェックするため職員を派遣するという前代未聞の騒動にまで発展して行く。  筆者は、これは森進一が撒いた種だろうと思う。  川内氏は長い人生でいろんな人間の生きざま、汚さ、浅ましさ、修羅場を見て来ている。筆者は、川内氏はここ20数年の森進一の生きざまの変わりように怒りを持ち続けていたのではないか、森が心底大スターになってしまっているごう慢さを見抜いていたのではないかと思う。  蛇足だが、筆者は物書きに転じ、これまでに20数冊の書を世に問うている。その4作まで、昔付き合いのあった歌手何人かに贈呈した。その一人が森。が、三田明、西郷輝彦氏らから丁重な葉書が来たが、彼からは葉書一つない。これが彼のごう慢さではないのか。筆者を「正次郎さん」と呼び、筆者は「森くん」と呼ぶ間柄であったのにだ。  歌手も俳優もデビュー当時は米搗きバッタのように頭を下げ、時には男にも女にも身体を張ってでもチャンスを掴もうとする。が、スターになるとあの当時の苦労を忘れようとする。また、運良くスターの座に10年も座ると昔受けた人の恩を忘れ、ごう慢になる人種でもある。そして、やがてヒットが出なくなり売れなくなっていく。  連続大ヒットを飛ばした大歌手が、ある時期を境にヒットが出なくなる。森が恩師、川内康範氏をなぜ怒らせたのかを、次回以降に具体的に書こう。(続く)…

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